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2024.9.10

海上自衛官から、京ごふくのベンチャー。そしてKIMONOブランドとして世界へ。

このPlay KIMONOが目指すところを、私の少し変わった経歴とともに書きます。

京都で呉服屋をやっていますが、私は大分県の出身で、家族や親戚にも着物の仕事をする者はいません。そんな中、2014年に自分でお誂えの呉服店を起ち上げました。

それに加えて、ここが一番珍しがられるところなのですが、私は高校を出た後、自衛隊に進みました。

そこから、なぜ呉服、着物を目指したのか、そしてPlay KIMONOに至るかを記します。

今日の話は、Play KIMONOの雰囲気にはあまりマッチしない話だろうなと思いますが、Play KIMONOを起ち上げるタイミングなので、皆さまにより深く、くっきりとした輪郭でPlay KIMONOをご理解いただければ何よりと思っています。

 

世界を回って思うこと

私は海上自衛隊に所属したので、遠洋航海でアメリカ、南米諸国を訪問しました。2005年ごろのことです。

 

自国文化に誇りを抱く各国の人達に接して

自衛艦が入港できるということは、その国と友好関係にあり、日本の外交の一つとしての訪問です。ですから、どこの国を訪ねても必ず歓迎行事が行われ、その国の文化でもてなしてくれました。歌、踊り、音楽、食事、どの国の人達も、私からは、自国の文化に自信を持っているように見えました。

外国を回った若者同様、私も「自分がいかに日本のことを知らないか」「日本がいかに世界から愛されているか」と感じ、もっと日本を知りたいと感じます。

 

 文化外交

文化の力が、外交の潤滑油になるのだと気付いたことも、着物を志すきっかけです。

ドイツのクラウゼヴィッツは戦争論の中で、「戦争とは、異なる手段を持って継続される政治に他ならない」と書きました。戦争の手前で、政治などの外交努力を尽くさねばならぬということですが、私が思ったのは、政治問題になる手前には民間や経済の交流があり、その中で文化は重要な役割を果たせるのだということです。

これを率直にお伝えするなら、現代においては、漫画やアニメの力は圧倒的で、漫画アニメをきっかけに、日本い興味を持ち、日本語を学び、日本に来て更なる親日家になる外国の人はたくさんいます。そうした好感を持ってもらえることが、回り道のようですが、国交の安定や戦争の抑止に繋がると私は考えました。

 

衣類のチカラ

ちなみに想像できない方も多いと思うのですが、自衛隊の制服を着て海外に行くと、非常に尊敬され、大切にされます。公に尽くしている職業に対して大いに敬意を払うのが、世界の常識的感覚だからです。

ちょうど私はカリブ海の島国で、スラム街を歩いていました。ところが、帰るべきホテルが分からなくなってしまい、通り掛かりの年配男性に道を尋ねたのです。その時に、帰ってきた返答が「それは〇〇の方角へ行ってください、Sir」というものでした。最後にSirを付けられたのです。私の見た目はいかにも東洋人の若者。それに対して敬称を使ってくれるというのは、私自身に対してではなく、私の着ていた自衛隊の制服に対しての敬意によるものでした。

日本ではしたことが無い経験だったので、驚き、とても心に残っています。

この時に衣服のチカラを感じ、日本人のユニフォームとしての着物に興味を持つようになります。

 

呉服店を訪ねて

その後、日本に帰りまして、これは早速1枚着物を作ろうと意気込んで呉服店を訪ねたわけですが、多くの皆さんがご想像通りの経験となりました。

価格は高い割に店員の説明は不十分でしたし、男性着物に詳しくない店ばかりで、なかなか良い寸法で仕立ててもらうことができませんでした。

そこから、深く知りたくなって、職人さんを訪ねたのですが、職人さんは非常に論理的に「なぜその商品が良いものか」ということを説明してくれます。経糸が多いとか、糸を手で作っているとか、一度聞けば納得のシンプルな理屈ばかりです。

そして、人間的にも愛すべき人柄の方が多く、私は職人さんが大好きになりました。

ところが、そうした人たちが時給100円や200円で働いているため、後継者がおらず、職人の高齢化が進んでいると知ります。

先述の通り、私が呉服店で購入する着物は高価です。この原因を探ると、中間流通にあることがわかりました。地方の零細メーカーから、地方問屋、京都の問屋、呉服店などという流通を経ることにより、皆んながすごく儲けなくても、必然的に高くなってしまうのです。加えて、需要が恐ろしく縮小しているのに、供給体制が変わらないため、もっとも力が弱い職人さん達に皺寄せされるという構造でした。

加えて、お行儀の良くない呉服チェーンがとんでもない悪徳商法をやっているというのが、当時仕入れた情報です。

こうした呉服業界を俯瞰すると、私がどれだけお金持ちになって途轍もない金額の呉服を購入したとしても、構造的な問題ゆえ、職人さんが潤うことがないと思い、自分が呉服店になって問題を解決しようと結論付けました。

2007年のことだったと思います。

27歳のころ、呉服に給与の全てを注ぎ込み、年間200万円近く着物を購入していました。そして貯金もないまま呉服屋を志し、食うや食わずの無職期間、7ヶ月間に全国の着物産地に職人さんを訪ね、呉服店、問屋、メーカー、職人の何になるべきか考えながら就職活動を行いました。

結果、東京のとても良い呉服店が拾ってくれて、5年間営業として働きます。その間も、夜行バスに乗って、職人を尋ねることは続けました。

 

京ごふく二十八を起業

相変わらずお金はなかったので、家族を連れて地元大分県に戻って、半年間、ユニクロ・和民でのアルバイトにより、起業資金50万円を貯めます。

そして、2014年に、京都へ移り住んで京ごふく二十八を始めました。

当初は、店頭での価格と品質について、お客様が信頼していないことが問題だと考え、最高品質の着物を受注生産で作り、ものすごく安価にご提供したのですが、それだけでは解決しないと思い至ります。その後、様々な施策を重ね、京都では最高の着物をご提供できるようになって今に至ります。

ただ、「弊社の成長スピード」と「生産背景の衰退スピード」を比較して、まるで追いつけないことに焦燥感を覚えない日はありません。

廃業、倒産するメーカー、職人は後を絶たず、一度無くなってしまうと、2度と作れないような施設なども壊されています。

 

Play KIMONOに至る

着物の生産背景が衰退して行くことは時代の流れで仕方ないと言えばその通りなのですが、私はそこに一石どころではなく、隕石並みのインパクトを与えて、守りたいというのが初志です。

そして思考を積み重ね、これを実現するためには、もっと多くの人に和服を着てもらわねばならないと考えました。

 

何をもって和服か

何をもって洋服かと考えた場合に、洋服の定義はあまりないと思います。せいぜい型紙を使う、立体縫製で体にフィットさせる、西洋の歴史ベースなどでしょうか。

ただ、和服、着物とは何かと問うた時に、多くの日本人の中では一般的な着物しか思い浮かばないと思います。

しかしながら、江戸時代に労働者が着ていた服などは動きやすい股引(ももひき)や半纏、ハッピ、カルサン袴など様々な衣類があります。

和服は確かに型紙を使いませんが、股引などはかなり形状も難しく、型紙があったのではないかと推察されます。

 

東洋と西洋の衣服はお互いに影響しあってきた

西洋の影響

実際、皆さんが和服だと思い込んでいるものの中にも、外国をオリジナルとした和服が存在します。

先述しました黒紋付きも、明治時代に入ってから、西洋のモーニングに対応して作られたものです。

さらには、戦国武将以降、江戸時代に作られた陣羽織も、室町時代に来日したスペイン、ポルトガル人の衣服をベースにされたものです。生地は舶来の羅紗(ラシャ)がよく用いられましたが、生地だけでなくデザインそのものも舶来のものだったのです。

また同じころ、ポルトガルのカルサンというズボンを日本人も着用し始め、独自に進化してカルサン袴に進化しています。カルサン袴も、我々から見れば、コテコテの和服です。

 

東洋の影響

17世紀に輸出されたヤポンセロックは、ヨーロッパで貴族の室内正装として用いられていますし、カンバヤなどは現代の欧米で売られているKIMONOローブなどのルーツだと考えられます。

19世紀から20世紀にかけて、ポールポワレなどのデザイナーによるドレスが直線的になっていく過程には、着物の影響も大きかったようです。

また、日本では女性に大人気のLIBERTYプリント(イギリス)の祖業は、日本や東洋の布、美術品を販売することです。

ヤポンセロックに似せてインドで作られたカンバヤは、その後、ヨーロッパで生産されるようになり、イギリス、フランスの本格的なプリント産業に繋がっていったそうです。それはまさしくLIBERTY社が現在売っている生地に繋がっていると私は推察します。イギリスやフランスのプリント生地のルーツには、日本の影響もあったと考えて然るべきです。

 

東洋は西洋に劣るのか

今の感覚で言えば、和服は時代遅れのもので、洋服が最先端であり続けていると考えがちですし、それは間違っていないと思います。

しかしながら、もっと大きな視点で衣類の交流を眺めれば、和服にも十分に世界へ広められる可能性があると言えるでしょう。ただ、着物業者の怠惰と、「洋服を着るべきだ」という与えられた価値観に安住する日本人の性質によって、ここまで和服は廃れてしまいました。

私が言いたいのは、西洋文化が素晴らしいものであることと同様に、東洋文化、日本文化は当然のことながら素晴らしいものなのです。

 

文化の防衛

いきなりこんなことを書くと驚かれるとは思いますが、私にとって呉服、着物を広め発展させることは草の根の国防活動なのです。アニメや漫画が世界に浸透していることと同様に、KIMONOを通じて日本に親しみを持ってもらうことで、良い関係が築けるはずです。

 

こんな堅苦しいことを皆さんにご理解いただく必要もなく、ただ、Play KIMONOをファッションとして楽しんでいただけたら良いのですが、根本のところでこんなことを考えながら始まったブランドだと知っていただけたら、また違って感じてくださる方もいらっしゃるかと思い記しました。

長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました!